「新卒の初任給を30万円に引き上げます」
ここ数年、こんなニュースを目にする機会が増えました。採用難が続く中、「初任給引き上げ」を検討する企業が増えています。若手人材を確保するための重要な施策の一つです。
ただし、経営・人事側から見ると話は単純ではありません。初任給を上げれば、すぐに次の疑問が出てきます。
- 入社2年目の社員はいくらにするのか
- 3年目、5年目との給与差をどうするのか
- 新人の給与が先輩社員を上回らないか
- 既存社員まで引き上げる原資をどう確保するのか
初任給だけを見れば「採用」の話ですが、金額を動かした瞬間から、既存社員の給与、賃金カーブ、等級・役職ごとの給与差へ影響が広がります。
そこで本記事では、2024年以降の企業公式発表と、2024~2026年に公表された調査資料を中心に、
「初任給を上げた企業が既存社員のどこを動かしたのか」「賃上げ原資をどこまで公表しているのか」を調べました。
後半では抽出した7社の具体例をもとに比較します。
なお、調査ごとに対象企業や設問が異なるため、数値は単純に合算せず、それぞれの調査から確認できる事実として扱います。
2026年、企業の初任給引き上げはどこまで広がっている?
初任給引き上げ企業は約7割
帝国データバンクが2026年2月に1,541社を対象として行った調査では、2026年4月入社の新卒社員について初任給を引き上げる企業は67.5%、平均引き上げ額は9,462円でした。一方、小規模企業では引き上げ企業が50.0%にとどまります。
初任給の引き上げは広がっていますが、どの企業でも同じように進められるわけではありません。特に中小企業が大企業の金額だけを追えば、人件費負担が一気に膨らむ可能性があります。
そして本当の問題は「上げた後」です。たとえば、新卒25万円・入社3年目27万円の会社が初任給を28万円にすると、そのままでは逆転します。3年目を上げれば、次は5年目、その先は主任・係長との給与差が気になります。
初任給を1か所動かすと、その上につながる賃金のバランスまで動き始めます。

問題は「初任給を引き上げた後」にある
次は労務行政研究所が人事・労務担当者を対象に行った2025年12月の調査です。
2023~2025年に初任給を毎年引き上げた企業が61.1%、在籍者の賃金を調整した企業が57.1%でした。回答は197社で全国代表値ではありませんが、初任給引き上げが既存社員の給与調整へ波及している企業があることは確認できます。
初任給引き上げ企業は、既存社員の給与も見直している?
「新人と先輩の給与逆転」は企業側も認識している
マイナビの調査では、初任給引き上げに関する課題として「既存社員との給与逆転を避けるため、全社員の給与を引き上げる必要がある」と回答した企業が49.1%あり、そのうち「解決している」とした企業は41.0%でした。
つまり、初任給を上げれば採用問題が解決するわけではありません。既存社員とのバランスを取り直せば、人件費総額もさらに増えます。
問題は「逆転」だけではない。給与差が縮まりすぎることもある
もう一つ押さえたいのが「賃金圧縮」です。
たとえば、新入社員28万円・入社3年目27万円なら明確な賃金逆転です。一方、新入社員28万円・3年目28万5,000円なら逆転はしていませんが、3年間の経験や役割の差が月5,000円しか表れていません。
本記事では、このように経験・役割・技能の違いに対して賃金差が極端に縮まる状態を「賃金圧縮」と捉えます。
見るべきなのは「新人が先輩を追い越したか」だけではなく、経験や役割に見合う差が残っているか、その後の賃金カーブがどう伸びるかです。
実際の企業を見ると、全社員を上げる会社、若手の賃金カーブを補正する会社、等級・役職ごとの給与レンジを動かす会社など、対応は分かれています。

実際の企業はどう対応している?7社の事例を比較
ここでは2024~2026年に公式発表を行った国内企業7社を取り上げます。固定残業代や手当の扱い、学歴・職種、改定年度が異なるため、金額の単純比較ではなく、初任給引き上げ時に「既存社員の賃金をどう動かしたのか」で比較します。
| 企業 | 初任給・制度の主な変更 | 既存社員への主な対応 | 原資の開示 |
|---|---|---|---|
| TOKYO BASE | 新卒初任給30万円→40万円 | 全正社員をベースアップし、月額支給額40万円以上へ | 生産性向上・事業モデルまで説明 |
| 大和ハウス工業 | 大卒初任給25万円→35万円 | 約1万6,000人の正社員の給与水準を改定 | 具体的内訳なし |
| コベルコ建機 | 学部卒21万9,800円→26万2,000円 | 賃金カーブ維持のため若手社員も大幅引き上げ | 具体的開示なし |
| ユニ・チャーム | 大卒初任給を2万5,000円引き上げ | 資格等級別の報酬レンジを改定 | 具体的開示なし |
| バンダイ/BANDAI SPIRITS | 新卒初任給29万円→30万5,000円 | 各役職の給与下限額を1万5,000円引き上げ | 具体的開示なし |
| ファーストリテイリング | 新卒初任給30万円→33万円 | 給与テーブル全体を改定し、役割・能力・成果に応じた報酬を強化 | 生産性向上の考え方を説明 |
| アドバンスト・メディア | 大卒初任給27万5,000円→30万円 | 全給与レンジ引き上げ+AIエンジニア向け手当 | 具体的開示なし |
TOKYO BASE|全正社員を40万円以上へ(2024年3月公表)
新卒初任給を30万円から40万円へ引き上げる一方、全正社員もベースアップし、月額支給額を40万円以上としました。
特徴は、給与改定だけではありません。
中価格帯以上への出店集中、低価格帯事業の撤廃、営業力強化などを通じて生産性を高め、高水準の給与を賄える事業モデルを構築してきたと説明している点です。
なお、月額給与には固定残業代や固定交通費が含まれるため、他社の基本給との単純比較には注意が必要です。
大和ハウス工業|全社員の給与水準を改定(2025年1月公表)
大学卒初任給を25万円から35万円へ引き上げると同時に、約1万6,000人の正社員を対象として年収ベース平均約10%の給与水準改定を公表しました。
新卒だけを突出させず、既存社員を含む給与水準全体を動かす対応です。
コベルコ建機|若手社員の賃金カーブまで引き上げ(2024年5月公表)
学部卒初任給を21万9,800円から26万2,000円へ引き上げ、同時に「賃金カーブの維持」を目的として若手社員の賃金も大幅に引き上げました。
新卒だけでなく、新卒→2年目→3年目という若手層を一つの賃金カーブとして捉えた対応です。
ユニ・チャーム|資格等級別の報酬レンジを改定(2024年5月公表)
大学卒初任給を2万5,000円引き上げると同時に、資格等級別の報酬レンジそのものを改定しました。
個々の既存社員へ一律に上乗せするのではなく、「どの等級・役割を担うか」を基準に給与の土台を動かす方法です。
バンダイ/BANDAI SPIRITS|各役職の給与下限を引き上げ(2025年2月公表)
新卒初任給を29万円から30万5,000円へ改定し、部長職を除く既存社員について、各役職の給与下限額を月額1万5,000円引き上げました。
「その役職なら最低でもこの水準」という下限を上げ、役職・役割に応じた給与差を確保する考え方です。
ファーストリテイリング|給与テーブル全体を再強化(2025年1月公表)
新卒初任給を30万円から33万円へ引き上げました。同社は2023年にも全社員の給与テーブルを改定しており、グレードによって最大40%の年収引き上げを実施しています。
単純な一律賃上げではなく、役割・能力・意欲・成果に応じて報酬差をつける考え方を強めている点が特徴です。全体を上げながら、上位の役割との給与差も確保する方向と見られます。
アドバンスト・メディア|全体引き上げ+AI人材へ重点配分(2026年3月公表)
全社員の給与レンジを引き上げ、全社平均約9.5%の賃上げを実施。大学卒初任給も27万5,000円から30万円へ引き上げました。
さらにAIエンジニアには入社1~5年目の手当を新設し、全体を底上げしながら、採用競争が激しい人材へ重点配分する二段構えです。
7社を比較すると、「初任給だけを上げて終わり」ではなく、既存社員の給与水準や賃金カーブ、等級・役職レンジまで同時に動かす企業が確認できます。
なお、具体的な原資まで公表している企業は一部に限られます。
企業事例から見える、既存社員への4つの対応パターン
7社の事例は、概ね次の4パターンに整理できます。実際には一つだけでなく、複数を組み合わせる企業もあります。
パターン1|全社員・給与水準全体を引き上げる
TOKYO BASEや大和ハウス工業のように、既存社員を含めた給与水準全体を引き上げる方法です。初任給だけが突出しにくい一方、対象人数が多く、人件費総額への影響も大きくなります。
パターン2|新卒から若手社員までの賃金カーブを補正する
コベルコ建機のように、初任給と近接する若手層を一つの賃金カーブとして補正する方法です。全社員一律より対象は絞れますが、どこまでを調整範囲とするかが論点になります。
パターン3|等級・役職ごとの給与レンジや下限を引き上げる
ユニ・チャームやバンダイのように、勤続年数ではなく等級・役職を基準に給与レンジや下限を動かす方法です。「何年働いたか」より「どの役割を担うか」に応じた給与差を維持しやすくなります。
等級制度そのものの考え方や、職能・職務・役割等級の違いについては、こちらの記事で整理しています。
パターン4|特定の職種・スキルへ重点配分する
アドバンスト・メディアのように、採用・定着が特に難しい職種やスキルへ重点配分する方法です。限られた原資を重点領域へ振り向けられる一方、「なぜこの職種だけ高いのか」を説明できることが重要です。
違いは、企業ごとに「動かしている場所」が違うことです。全社員、若手の賃金カーブ、等級・役職、特定人材。初任給引き上げ後の対応には一つの定型解があるわけではありません。
では、賃上げ原資はどこから出しているのか?
既存社員まで給与を動かすなら、当然「そのお金をどこから出すのか」が問題になります。企業発表では目的は説明されても、具体的な資金源まで公表される例は多くありません。各種調査を合わせて見ると、原資は大きく3つに整理できます。
- ① 事業で新たに生み出す
- ② 既存の報酬や費用を再配分する
- ③ 将来の昇給余力を先に使う
① 事業で新たな原資を生み出す
労務行政研究所の調査では、ベースアップの原資として「業容拡大による利益増」44.3%、「生産性向上・コストカットによる利益増」43.7%、「価格転嫁による利益増」35.9%が挙げられています。
つまり、売上・粗利の拡大、生産性向上、コスト削減、価格転嫁など、本業で生み出した利益を賃上げへ回す方法です。TOKYO BASEが給与を賄える事業モデルづくりまで説明しているのは、このタイプの分かりやすい例です。生産性向上の取り組み成果を原資として、給与制度の変更を行っているパターンです。
給与制度を変えただけで、原資そのものが増えるわけではありません。
② 既存の報酬や費用を再配分する
三菱UFJ信託銀行・三菱UFJリサーチ&コンサルティングの調査をしています。
初任給引き上げの原資として「基本給カーブの改定」28.0%、「賞与算式の改定」22.5%、「賞与原資の一部を月例給へ付け替え」20.3%、「非人件費からの捻出」15.4%などが挙げられています。
新たなお金を生むだけでなく、年収のどこに配分するかを組み替える方法です。後半の昇給を若いうちに厚くする、賞与の一部を月例給へ移す、手当やその他費用を見直す、といった対応が含まれます。
なお、別調査では「賞与の給与化」の実施率が異なる数値になっています。対象企業や設問が違うため、比率は単純比較せず、「実際に採られている選択肢の一つ」と捉えるのが適切です。
③ 将来の昇給余力を先に使う
三つ目は、将来の昇給に使うはずだった余力を初期給与へ寄せる考え方です。たとえば、入社後5年、10年で上がっていた賃金カーブを緩やかにし、その一部を若年層へ前倒しします。
これは調査会社の分類名ではなく、本記事で複数の調査結果を制度上の動きとして整理したものです。三菱UFJ系の調査では、初任給引き上げ原資について「会社の持ち出し」が一部13.2%、全額12.6%という回答も確認されています。
給与は一度上げれば翌年以降も続く固定的な負担になります。初任給を厚くした後、「入社後の昇給幅をどうするか」「5年後、10年後の賃金カーブをどうするか」まで見る必要があります。
原資の作り方は、一つではない
実際には「新たに生む」「再配分する」「将来分を先に使う」を組み合わせると考える方が実態に近いでしょう。また、「原資を公表していない」ことと「原資がない」ことは別です。公式発表だけから、企業内部の利益計画や人件費計画を推測することはできません。
調査から見えてきたこと|初任給引き上げは「採用だけの話」ではない
今回の調査から見えたポイントは、次の3つです。
1.初任給は、既存社員を含む賃金体系へ波及する
新卒だけでなく、若手の賃金カーブ、全社員の給与水準、等級・役職レンジ、特定職種まで動かす企業が確認できました。初任給という「入口」の金額が、賃金体系全体を見直すきっかけになります。
2.見るべきは「逆転」だけではなく「圧縮」
新人より先輩の給与が高ければ終わりではありません。経験や役割の違いに見合う給与差が残っているか、その後の賃金カーブがどう伸びるかまで確認する必要があります。
3.制度を変えても、賃上げ原資は必要
賃金表を書き換え、初任給を高く設定することはできます。しかし、それを継続して支払うには原資が必要です。だからこそ、他社の初任給だけを見て「うちも30万円にしよう」と決めるのは危険です。
初任給の引き上げは、採用施策であると同時に、経営と人事制度の問題です。
初任給と既存社員の賃金カーブを一体で整理したい方は、人事制度構築支援もご覧ください。
人事制度全体を見直す際の設計手順については、3~5年後の組織像から逆算する考え方をこちらの記事で紹介しています。
誰の給与をどこまで連動させるのか。既存社員との給与差をどうするのか。原資をどこから確保するのか。
そして3年後、5年後の賃金カーブをどうするのか。ここまでを一体で考える必要があります。
初任給の引き上げや既存社員との給与バランスについて、自社の場合を整理したい方はご相談ください。
次の記事では「初任給を引き上げたら既存社員の給与はどうする?」をテーマに、中小企業が確認すべきポイントと対応の選び方を具体的に考えていきます。
▶ 給与逆転現象・賃金圧縮とは?初任給引き上げ後の給与見直し
